明月苑の秘密


最初の修行先は寮生活で一、二年生が少し早くお店を出て多いときは50人近い食事を作っていました。
私はたいがい二人で組む女性の先輩や同期を困らせ、時には泣かせてしまうほど料理は苦手でした。
それは男三人兄弟で育った私の環境で、母も料理に関しては自己犠牲してやってくれていたせいだったと思います。

二十歳前後の若者が大量の食事を作るとなると正直、決して美味しいものは望めない事が多かったのです。
貼りだされた当番表を見て「露骨に今日は外食だなぁ」と言う先輩もいました。
でもお金に余裕があるなら本当は僕もそうしたかった。

月に一度だけ若い肉体はジュウジュウと焼けた焼肉を求めた。
本当は毎日求めていたがお金が無かった。
でも給料日だけに食べれるからそれは死ぬほど美味しかった。
同期の久保田君は誘ってくれればいいのに明月苑の前に見知ったチヤリンコを乗り捨ててやはり月に一度吸い込まれるように入っていた。
チャリンコはスタンドも立てないで乗り捨てられている。
でもその気持ちは痛いほど判る、我慢が出来ない衝動を。
笑った背中の久保田君を明月苑で見かけるとまた一ヶ月が経ったんだと思えた。
でも数日遅れる事も無く今度は私が同じように明月苑に吸い込まれていました。

妻も私も基本的に菜食主義ですが、いつしか明月苑に吸い込まれる夜がある。
狂牛病の時、仕入れが大変なのか明らかに肉質が変わったときがありました。
私は生意気にも一通の手紙を書いて励ましました。
「私の青春を支え多くの常連をうならす明月苑は例え値上げをしてでもポリシーの和牛をだすべきです
ちよっとこんなものも食べたいという人にオプションを増やしたらどうでしょう」と。

今では大所帯になってしまったcalmのスタッフを連れて一度明月苑に行った時の事、
私の過去と今を語ると「あーあそこの美容室で修行してたのぉ」と懐かしみ喜んでくれた夫妻。
私のドラマなど露知らぬ妻もスタッフも、ただわいわいと食べていた。
中にはもったいないことに、酔って戻してしまう子もいた。
でも、私はなんだが自分ひとりでただただ嬉しさがこみ上げるのをかみ締めていました。

今、明月苑さんの壁には多彩なオプションメニューが書かれ、マスターも女将もなーんにも言わないが吸い込まれた私達夫婦をいつも笑顔で迎えてくれるのです。